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- 2018/09/27
一人暮らし2年生になりました
一人暮らしを始めて、1年が過ぎた。
東京23区内・駅チカ・日当たり良好・24時間ゴミ出し可・宅配ボックスつきワンルームの家賃はそこそこのお値段だが、今の部屋によって得られている精神の安寧を考えると、むしろ安く感じてしまう。
どうして28歳になるまで、この快楽を知らなかったんだろう、自分。
都内実家暮らしの特権をフルにしゃぶり尽くしていたからというのが理由なのだが、振り返ってみると、私ができる限り避けて生きていたのは、家賃の支払いでも家事の負担でもなく、家を持つ・借りるという行為そのものだった。
それはなぜか?
親の離婚を経て、「家」というものと、それに伴う「責任」をひどく重荷に感じていたからだ。
重荷と化した、夢のマイホーム
もともと社宅で4人暮らしをしていた我が家が一戸建ての住宅を購入したのは、私が小学校に入学したとき。窮屈な社宅暮らしから解放され、初めて一人部屋を手にした私は、緑も多い環境の中でのびのびと小学校生活を楽しんでいた。
しかし、中学に上がったあたりから、両親の仲が険悪になり始めた。ほころびは広がるばかりで、母と私と弟は、父を残して夜逃げ同然に家を出ていくことになる。私たちは母方の祖父母の家に居候することになった。
そして、その後の離婚調停で、マイホームとそのローンが財産分与の話し合いにおける妨げになっているのを見て、「家」というものへの苦手意識が決定的なものとなった。容れ物としても、概念としてもだ。
住まないわけにはいかないけれど、自分ではコストもリソースもかけたくない。ずっとあるという保証はなく、不意になくなってしまうこともあるのだから、思い入れを持ちたくない。私にとって、家はモノを置いて寝に帰る場所であれば十分で、一人暮らしをしたいという気持ちも湧きようがなかったのだ。
失敗した一度目の一人暮らしチャレンジ
そんな私にも、一度「一人暮らしをして自分を変えるぞ!」と思い立って、実際に物件を申し込んだことがある。
当時の交際相手にわずか2カ月で振られるという出来事があり、「このままじゃダメだ」というぼんやりとした焦燥感にどうにか打ち勝とうとして見出した選択肢が「一人暮らし」だったのだ。
いや、でもこの答えには自分でたどり着いたんじゃなくて、人に話を聞いてもらいたくて通っていたタロットの占い師さんにアドバイスされた内容だったような……。2015年秋、26歳のことである。
一人暮らしの動機が衝動的かつネガティブな上に、落ち込み過ぎて思考が鈍くなっていたものだから、物件を探すに当たって「こういう部屋に住みたい」「ああいう暮らしがしたい」という前向きな展望はゼロだった。住む部屋の条件も「通勤に便利だけど、できるだけ安いところ」だけを軸にしていた。
結局、最初に足を運んだ不動産屋がグイグイとすすめてきた、私鉄沿線徒歩3分1K6畳のアパートに申し込みをすることになるのだが……契約予定日が近づくごとに、重たい気持ちになってきた。
「よく考えたら、私の蔵書を置くには狭いのでは」
「アパートって、生活音が聞こえやすいんじゃなかったっけ」
「不動産屋さんがやたらとグイグイすすめてきたのは、本当は条件の良くない物件だからなのでは」
「というか、冷静に考えて実家の方が便利では」
「わざわざお金をかけて引っ越すほどの物件だろうか」
と、あとからあとから懸念点が思い付いてしまい、加速度的にモチベーションがしぼんでいったのだ。
「好き! ここしかない!」と決心したわけではなく、「考えたくない……すすめられたものでいいや」という消極的な選択をしたのだから、当然である。「家」に責任を持つことをしたくないという逃げもひそんでいるから、もう八方塞がりだ。グジグジとした気持ちから逃げようと決心したはずの一人暮らしのせいで、かえって負の“グジグジスパイラル”にドハマリする羽目になった。
その上、折悪しく、電車で財布をすられてしまう。
「もうダメだ……。財布に入ってたお金、ちょうど家賃1カ月分くらいの金額なんだよな……。でも引っ越すのを一旦延期したら、この損は、支払わずに済んだ家賃と相殺した気分になれるのでは?」
と謎の帳尻意識を働かせた私は、申し込んでいた物件を勢いでキャンセル。その後も結局、引っ越しを保留にし続け、引き続き炊事も洗濯もろくに自分でしないまま、ぐうたら度を深化させていくのであった。
まだまだ続く!次ページへ!
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